努力できることはたまたまという前提に立った考え方が好き!
※アイキャッチ画像を作るモチベーションが沸かない…
努力して何かを手に入れた人が、自分の力でそれを手に入れたと豪語している姿を見ると「あぁ、残念だな」という気持ちになります。
背が高い低い、足が速い遅い、と同じように、努力できるかどうかも持って生まれた特性に寄る部分が一定程度あると分かってきています。
また、環境や生まれた順に寄るところも大きく、たとえば兄弟がいる場合は第一子(=長男長女)のほうが学業で優位な傾向にあることが分かっています。
つまり、たまたま第一子に生まれ、たまたま良い環境を提供され、たまたま努力できる特性が人より多く生まれただけ、という要素が結果に影響しているにもかかわらず、自分は自分の力で今の結果を手に入れたと拡大解釈してしまうのは、物事をあまり客観視できていないという意味で個人的に残念だなと感じてしまいます。
この前提のうえで、公平ってなんだろうと考えることがあります。
足が速く生まれる人もいれば足が遅く生まれる人もいる。
このときに、足が一番遅い人にみんなが合わせることが公平なのか。
僕個人としては、そうではなく、たまたま足が速く生まれた人が遠くの場所で何かを手に入れてみんなと分かち合うことが公平(というかハッピー)だと感じます。
そして、たまたま足は遅いけれど、たまたま努力が得意ならば、その努力を生かして手に入れたものをみんなと分かち合うことが公平(というかハッピー)だと感じます。
こんな考えなので、「自分の持って生まれた特性ってなんだろう」と自分に問い、気づき、伸ばし、「誰かと(そして社会と)分かち合おう!」みたいな考え方が個人的に好きです!