経営者を辞めたワケ
(2012/6/30 経営していたお店の最終日に書いた個人ブログより)
4年間経営したフッカも今日で終わり。
3年間は休日なんて全部返上して常にフッカのこと考えてた。
それぐらい楽しかった。
そして今日でフッカの経営を終わりにする。
今でこそ分かる辞めるシンプルな理由は、「フッカはやりきったから新しいことしたいなぁ~って心が訴えてる!」ただそれだけ。その気持ちに素直になるのを、ずっとずっと、自分が作った”経営者はこうあるべき像”が縛ってた。恐れてた。
お店を始めた理由が、「自分のお店をもってみたい!」ってシンプルな憧れから始まったあの日のように、今、全部の肩の荷を降ろして素直になれた自分がいるのを感じる。
今年は、ずっと自分の中で葛藤があった。
それは気付いたら自分が周りと同じような立派な大人になってて、「こんなに人気店になったフッカを続けないのは<もったいない>」とか、「1店舗成功させたのだから<拡大していくべきだ>」とか、自分のワクワクの感情に損得や打算的なナニかが入ってきて心が麻痺してくるモヤモヤ。
とは言っても、去年半ばまではフッカ移転したいとか次のお店出したいとかは損得抜きに心の底から思ってたんだけどね。。。
フッカを出してどん底赤字でつまづいて一人の経営者に出会ったあの日。
「このお店を何が何でも成功させて、いつか自分が今の自分のようなピンチの経営者を救いたい」って夢をもらって、頭の中にそんな未来を描いて涙が止まらなかったあの日。
あの日からずっと、その夢を追って毎日ワクワクして生きてきた。
「こうなったら幸せだ」って思うイメージに向かう進んでいく日々自体がとても楽しくて、幸せな毎日だった。
でも、3年過ぎた去年の半ばぐらいから経営的にも自分の使える時間にも余裕がでてきて、だんだん「未来に思い描く幸せのために今の時間を使って感じる幸せ」よりも、「今の心の思うままに自分が楽しいと思うことに今の時間を使って感じる幸せ」のほうが大きいことに気付き始めた。
だけど。その気持ちに素直になるのを、自分が作った”経営者はこうあるべき像”が縛ってた。恐れてた。許さなかった。
経営者って立場を意識しすぎて、周りからどう思われるかってのを自分の価値観にしてたって今なら分かる。経営書を読みすぎて、未来の幸せのために今の楽しみをある程度我慢するのが正しいって勝手に思い込んでた。計画立てて守ることに重きを置いて自分の感情を置き去りにしてしまっていることに気付いた。
そして今年。
色々あって、自分の気持ちがおさえられなくなり、次のお店の出店準備を途中で辞めた。自分にとっては心から素直になった瞬間でもあったけれど…、次のお店を諦めたことで、自分のずっと描いていた夢が「実際にやったこともないのにこうなったら幸せだ」って思い込んでいたものだってことを、認めることにもなった。
これは、僕に限らず夢に憧れる人に共通する、すごく危険なことだって思うんだよね。
例えば、将来パイロットになりたいと思って、体験したこともないうちにどんどん憧れが大きくなり、「パイロットになるのが自分の幸せだ」って思い込めば思い込むほど、実際にパイロットになった時に、もし、心が「なんか違う」と感じてしまったら、そのギャップに耐えられなくなってしまう。
世間では、夢をもつことがカッコイイみたいに思われているけれど…(もちろん夢をもつのは素敵だって今でも思う)。幸せなんて人が作った言葉だし、それが”ある”って植えつけられているから、「自分はこうなったら幸せだ」って考えないといけない。でも、確かに、確実に、100%自分の中の真実として分かることって、「今自分がやっていることに、心が喜怒哀楽の何を感じているか」だけなんじゃないかな。
だから、「ワクワクするなら試してみる」ぐらいの気持ちで全部やってみて、試してみた結果どう感じるのかを柔軟に受け止められる感覚の方が良いなって今は思う。
話を戻すけど、その時の僕は描いていた夢よりも幸せなものを今に見つけたとき、ある意味で目指すもの全てを失ったような気持ちになった。
今自分が1日のほとんどを割いている仕事も未来の幸せに向かっているからこそ楽しかったので、心から素直になったと同時に今の仕事に対してモチベーションがガクっと下がったのを認めざるを得なかった。
それでも、自分が作った”経営者はこうあるべき像”が仕事を休むと自分に猛烈な罪悪感を与えて、周りからの責任感を求める目や声にも耐えられなくてフッカに行ってパソコンを開くも全く手につかない毎日。何もできない自分を自分で許せなくて、でも何かしないとって焦りが動悸と呼吸を苦しくして、家にいても外にいてもどこにいても苦しくなってほとんど睡眠もできなかったりな日が続いた。
フッカでは。
そんな苦しみをスタッフに打ち明けて何回泣いたか分かんないや。そして、先頭に立って引っ張らないといけないのに引っ張れない自分をみんなが支えようとしてくれて何回泣いたかも分からない。
まいまい、エミリア、ありさ、カズ、ぶまち、じゅりあ、さきちゃん、そして、その。本当にありがとう。
3月でスタッフが2人辞める予定だったしそこでお店を辞めようと思った。
でも自分が愛情と苦労をかけてきたこのお店を苦しいってまま終わらせて良いのか葛藤し続けていたある日、とあるきっかけのおかげで、自分を経営者じゃなく一人の人間として見てくれる人とだったら働いても苦しくないことが分かって、やっぱりお店をこのまま終わらせたくない気持ちも勝って続けることにした。自分の状況や心境を全部打ち明けて理解してくれる人、それはもうスタッフってより、友達を探す感覚で新しくスタッフを雇用した。
そんなこんなで、4月から実際に苦しいのは徐々に消えて普通に働けるようになった。
スタッフにものすごく助けられたし、自分の中では従業員と雇用主ってより一人と一人の人間としての関係な感覚だった。
お店は想いがあるから存在できる。
3月ぐらいに存在理由を失いかけたフッカもまた新しい存在理由が生まれかけてた。
よく経営者が言う上っ面の言葉じゃなく、まったく対等な関係として友達としてスタッフを愛してる。もう、お店のあるべき姿にスタッフを合わせるために無理矢理モチベーションを上げようとする行為をしたくない。自分がまたフッカで楽しく働けるきっかけをくれたこのスタッフ一人一人が、あるがままに楽しく働ける環境を作りたいって思った。
そうして4月からの2ヶ月間。
最初はフッカで働いて苦しくならないだけでも感動していたけど、だんだん慣れてくるにつれて、はじめて、先のことを考えずに今だけに集中してフッカで働いた。自分の心と向き合った。
今だけに専念すると、何が楽しくて何が楽しくないかを今までよりハッキリと濃く感じられるようになった。クレープを作る、接客をする、企画をする、文章を書く、戦略を練る、組織を作る、経理をつける、広告を作る、広報を行う、発信する…。何をしてる時が自分が楽しく感じるかを見つめなおすことができた。
そして分かったことは、「自分自身が示しを見せられない状態で、責任をもって皆を引っ張っていく立場は、今の自分にはキツいな」ってこと。素の感覚でやってみて、「今の自分にはできない」ことがハッキリ分かった。
「できない」って言葉は、ずっと使っちゃいけないネガティブな言葉だって経営書には教わってきたけれど、ワクワクや苦しみは、それ以上に自分自身に自分の好き嫌いを教えてくれた。できないことが分かってそれを受け入れられると、必要以上に自分を無理して見せる必要もなくなる。「できない」って言葉は、できる人を素直に頼ることができるポジティブな意味で使うこともできるってことが分かった。
また、自分がどんな作業をしてる時が時間を忘れて没頭しているかってことが分かった。
少しずつ、今の自分のやりたいことも見え始めてきた。
すごく苦しんだおかげで、すごく大切なことが分かった。
同じように、苦しんだおかげで、自分が大切にしたい人も分かった。
僕が仕事がまったくできなくなった時。周りには、僕を責任を果たせない経営者として責める人、経営者以前に一人の人間として非難する人、経営者以前に一人の人間として気遣ってくれる人、何があっても見放さないでいてくれる人、などなど色んな人がいて、周囲の反応が分かったおかげで自分が大切にしたい人も分かった。
そして、自分が、すべての人を素で心から好きになれるほど度量が大きくないことも分かった。だから、今は好き嫌いのあるなんでもない一人の人間として、その感情と好きなものを大切にしたいって感じてる。付き合いたい人と付き合って付き合いたくない人とは付き合わない、そんな人として当たり前な?自由がほしいなって感じてる。
そのためにも、フッカの「経営者」って立場はキツいなって分かった。そして、5月の終わりにスタッフみんなにそれを正直に全部話した。
こんな経営者だけどみんな快く受け入れてくれて、物件の契約が切れる6月末までフッカで働きたいって言ってくれたので今日に至ることができた。
そして、詳細はフッカのブログに書いたけれど、スタッフのまいまいがお店の想いを継ごうとまでしてくれて、苦しい中もう辞めようとしていたのがこんなに気持ちよく最後の日を迎えられている今。
数ヶ月ほぼ仕事ができなくて自分に全く自信がなくなったけれど。
それでも、自分が作ったお店にお客様の数が減るどころか増えることを知れたり、閉店の告知が広がるにつれて毎日お店は売上記録を更新したり。
そんな姿を見て、「あぁフッカは愛されてるお店だな」って実感できて、自分がやってきたことをすこしだけあたたかい目で見つめ返すことができるようになって、今日を迎えることができた。
そんなこんなで、フッカについてはすごくやりきったって今は言えるから、今日を終えたらその先は何も背負わない一人の人間としてまた新しいことやっていこうかなーって。フッカでの経験のおかげで、自分が時間を忘れて没頭する作業の1つが「文章を書くこと」だって分かって、「無目的にただ文章を書きたい」って思いが止まらなくなって、気付いたらこれを書いてた。
誰に見てほしいなんてのも考えずにただ自分のために書いてたけど、強いて言えば、自分が最も苦しんでいた時支えてくれた人たちに、「ここまで自分が自分のことを受け入れて前を見れるようになったよー」って、知ってもらいたい思いはあるかな。
さー、ラスト1日!
がんばろーっ!!