2015.09.16

目的地よりも道のりを楽しむ。点と点の間にある「線」を思い出に残す、そんな旅もステキ。

先日、ココトモのイベントで「今年やってみて良かったこと」について話し合っていたのですが、一人の青年が話してくれた内容がいまだに僕の中の冒険心を揺さぶっているので、書き残すことにしました(๑・‿・๑)

何日間も歩いて旅をする、その醍醐味。

何日間も歩いて旅をしたこと。
それが青年の「今年やってみて良かったこと」でした。

その青年の旅は、いつも、東京「日本橋」からスタートするとのこと。
よく道路で見かける「東京まで〇〇Km」の基準地点が日本橋にあるから、という理由らしい。

…カッコイイ笑

旅はすべて「歩き」。そして「2人旅」。
複数日かけて、伊豆へ行ったり、鬼怒川に行ったり、次回は京都へ行くとのこと。

話を聞きながら、心の中で「おいおいマジかよ、すげーな」と思っていると、ほかの参加者が青年に「旅の醍醐味は?」と質問をしました。

すると、2つの答えが返ってきました。

1.点と点の間にある「線」が思い出になる

東京から目的地まで直通で着いてしまうと、車窓から見える景色はどこもあまり変わらない。そこに、どんな人が生活していて、どんな匂いの風が吹き、どんな花が咲いているのか、そういったことを感じられることが、旅の楽しみ。

一緒に旅する相手との相性もあるのだろうけれど、道中はなぜか会話が尽きない。変な遊びが生まれたり、変な歌を歌ったり、意味のない会話もたくさん生まれる。旅を思い返したときには、出発地や目的地という「点」よりも、点と点の間にある「線」が思い出になる。

…しびれる!!

2.温泉の真のパワーを感じられる

だいたい「3日間で50kmのペース」で歩くのだけど、最後には、筋肉痛ではなく骨の痛みを感じるようになる。ようやく辿り着いた目的地で温泉に入ると、今まで自分が感じていた温泉とは別次元の至福を感じる。「これが温泉の真のパワーなのか!」と笑

東海道五十三次を歩いていると、ちょうどヘトヘトになったタイミングで次の町が見えてくる。昔、歩きでしか日本を巡れなかった時代の人たちが、町を見つけ、温泉に入ったときの喜びを、少し感じられたような気がして、それもまた嬉しい。

…惚れる!!

目的地よりも道のりを楽しむ。ヒッチハイクの旅をしたときの話。

僕は過去に何回かヒッチハイクの旅をしたことがあります。
初めてヒッチハイクをしたときは、友人と2人、お金を持たず、携帯を持たず、沖縄を目指して旅しました。

当時、その友人とハマっていたHYの曲「ホワイトビーチ」を、沖縄に実在するホワイトビーチで聴いたら一体どんな気分になるんだろう。

そんな動機で始めた旅でしたが、世間は思っていたよりもはるかに優しくて、色んな方のお世話になりながら、5日目には鹿児島までたどり着きました。

…だけど、結果として沖縄に渡ることはできませんでした。
鹿児島と沖縄の距離はあまりにも離れていて、漁船の方々すべてに頼みこむも「絶対ムリ!」と断られてしまったんですね笑

目的を失い、流れに身を任せたとき、新しい旅が始まった。

沖縄に行けないことを悟ったときは2人で落ち込みましたが、話し合い、「行きは沖縄だけを目指してきたけれど、どうせなら、帰りは、ヒッチハイク自体を楽しもう」という答えを出しました。

なんとなくの方角だけを決めて、乗せてくれた人との会話を楽しみ、おすすめの場所に連れていってもらい、会話の中で次に行きたい場所が生まれて、有機的に旅が変わっていく。

目的を失い、流れに身を任せたとき、道のりの1つ1つがキラキラと輝くようになり、新しい旅が始まりました。

結果として、ヒッチハイクの旅は一生の思い出になりました。

「2人」というサイズで歩き旅がしたい。そんな気持ちになりました。

気づけば自分のヒッチハイク話になってしまいましたが…笑

青年の話を聞いたあと、自分がヒッチハイクをしたときの気持ちが蘇ってきて、青年のような楽しみ方で、誰かと2人で歩き旅をしたくなりました。

僕は「2人」というサイズが好きです。もともと人見知りだからかな?ゆっくり1人の相手と過ごすほうが落ち着くんですよね。1人の時間も好きだけど、道の途中で沸いた感情を共有したいから、歩き旅なら2人がいい。

道端で見つけた変なものに変な名前をつけたり、次の自動販売機のメーカーを予想したり、「暑い」と言ったら負けゲームをしたりしながら、ただ歩く。

そういう旅をしたくなりました☆