2015.09.12

明るい気分のときと暗い気分のときでは異なる音楽を創作するように、さまざまな事業をつくりたい。

僕は小さい頃からあらゆる美的センスが皆無に等しく、いつも美術の成績は「1」でした。「もしやこれは1番という意味なのか…!?」と期待したこともありましたが、ただの「1」でした。

そんな僕ですが、先日友人に「ゾノさんはアーティスト。ココトモはゾノさんにとって1つの作品ですよね。」なんて言葉をもらいました。美的センスは相変わらずですが、僕にとって「事業は表現手段の1つ」だと感じていたので、とても嬉しい言葉でした(๑・‿・๑)

だけど「表現」ってとても難しい。

僕が以前経営していたお店「Fucca Fucca」では、自分の中の「ポジティブな面」だけを表現し続けていました。実際に自分がポジティブなときはそれでうまいこと成り立つけれど、僕にも波があって、どうしてもネガティブになってしまうときもあります。そんなとき、「相手が期待する自分像」と「実際の自分」が離れているせいで、表現することが苦しくなってしまうこともしばしば。

逆に、今経営している「ココトモ」は、僕のナイーブな面を表現できる場所です。だけど、やっぱりココトモだけで自分のすべてを表現できるわけではなくて。同じように、実際の自分の気持ちとズレたときには、何も表現できなくなってしまうこともしばしば。

だから…

明るい気分のときと暗い気分のときでは異なる音楽を創作するように、さまざまな事業をつくりたい。

きっと人間には色んな面があって、そのどれもが自分だけど、1つの事業で表現できる自分には限りがあるのだと思います。少なくとも僕が何かを作るときは、自分の人間性の中から小さな一部分を取り出して、そこにスポットライトを当てて作るから、そこに表現していることすべてが素直な気持ちでも、すべての気持ちをそこに表現できるわけではないんだよね。

前のお店では、自分のネガティブな面に蓋をしてきたから、少しずつ出せない自分が増えていき、ついには自分を出せなくなりました。「誰かに想いが伝わったときの喜び」をあんなにも感じていたのに、表現することがとても怖くなりました。何も伝えたくないし、何も作りたくなくなりました。

だけど、やっぱり表現することが好きみたいです。
ヤサグレ時期?があったおかげで、色んな気持ちを感じることができました。
「たとえどんなに傷つくことがあっても、それ以上に、誰かと心つながる瞬間は、僕にとって幸せな瞬間」だということが、ハッキリとしていきました。

それから、ココトモを作り、出せなかった面を少しずつ出せるようになり、今は「明るい気分のときと暗い気分のときでは異なる音楽を創作するように、さまざまな事業をつくりたい。」そんなふうに感じています。

ポジティブな面も、ネガティブな面も、文章が好きな面も、マーケティングが好きな面も、コンプレックスを抱えている面も、全部ひっくるめて!多面的な自分を、多角的に表現していきたい(๑・‿・๑)