「ありのままの自分でいいんだ!」と元気になった人がまた病んでしまうのを何度も見てきたから、やっぱり変わろうと努力することも大事なんだと思う。
こんにちは、ゾノ( @ozonosho )です。
今日は「ありのままの自分でいいんだ!」と元気になった人がまた病んでしまうのを何度も見てきたから、やっぱり変わろうと努力することも大事なんだと思うって話です。
もちろん元気なままでいてくれるなら良いのですが、僕の周りはそうじゃないことのほうが多いので僕なりの考えを書いてみようと思いました。
本当は「もっとこうなりたい!」ってのが心にあるのに、それに嘘をつくのは全然「ありのまま」じゃない。
そもそも「ありのままの自分=今の自分のままでいい」ではないと僕は思っているんですよね。
人間である以上、完全に周りと比べないってのは難しいです。
色んな人を見ていれば「自分とAさんの違い」も「AさんとBさんの違い」も脳が勝手に認識しちゃうもんだし、そうしたら嫉妬みたいな感情がなくても「Aさんの生き方カッコいいな」とか「Bさんみたいに優しくなりたいな」とか自然な感情として沸いちゃいます。少なくとも僕はそうです。
今の自分に自信が無いなら尚更のこと比べちゃいます。
周りと自分を相対的に見て「もっとこうなりたい!」って感情がどんどん沸いちゃいます。(もちろん負の感情もたくさん…w)
それなのに、その感情を見ないフリして「自分は自分だから、何も変わらなくともありのままの自分でいいんだ。」というのは、なんか違う気がします。本当は「もっとこうなりたい!」ってのが心にあるのに、それに嘘をつくのは全然「ありのまま」じゃない。
本当は「もっとこうなりたい!」ってのが心にあるのなら、その感情もちゃんと汲み取ってあげるのがありのままの自分なんじゃないかな。
「自分のことを受け入れる」とか「ありのままの自分でいい」とか色んな言葉があるけれど、それは自分の感情に嘘をつくことではなくて、自分の感情が「もっとこうなりたい!」と望んでいるのならその感情もちゃんと汲み取ってあげることなんじゃないかな。
僕はうつ病の時期に、自分に自信を持ちたくて、自分のことを好きになりたくて、「今のまんまの自分でもいいんだ」って自分に思い込ませようとしたことがありました。今のまんまの自分でもいいんだと思えたら、何も変わらずとも自信がつくと思ったんです。
だけど(少なくとも僕の場合は)願うだけでは一時的な安心にしかならなかったです。
それは僕の本心が「自分を変えたい」「こういう自分に変わりたい」と感じていたからだと思います。
だから、本当は「もっとこうなりたい!」ってのが心にあるのなら、やっぱり変わろうと努力することも大事なんじゃないかなって思います。
たとえどんなにゆっくりなペースでしか進めなかったとしても、ときに休んだり、ときに離れたり、ときに立ち止まったりしても、その先にしか「自分のことを好きになれる自分」はいないような気がします。
だけどそれって一人だととても大変。
偉そうに書いてますが僕も何回も挫折して、そのたびに変わることを諦めてしまいたくなりました。僕の場合は幸いにも周りに支えてくれる人たちがいたおかげで諦めずに済み、今はやっと「自分のことを好きだ」って心から思うことができています。
一人だときっとそれはできなかったと思うから、今度は自分が、「もっとこうなりたい!」「諦めたくない!」と思って一人で苦しんでいる人たちのお手伝いをしていきたいなぁと思っています。これまでつくってきたサービスやこれからつくるサービスを通じて。