セーフティネットなんて言わない繋がりのほうがセーフティネット
たとえ小さな葛藤でも、一人で抱えていると苦しみや依存症にまで成長してしまう。
先日そんなことを書きました。
(参照: 先日のコラム )
世の中のセーフティネットと言われる活動は、孤立した結果、苦しみや依存症にまで成長してしまった人たちを救う活動が多いように思います。
一方で、より手前のケアがあるおかげで悩みが深刻化せず、結果としてセーフティネットを利用せずに済んでいる人もたくさんいます。
個人的には、そういうより手前のケアも等しく(いやそれ以上に!)セーフティネットなのではないかと思います。
昔カフェを経営していたとき、そのカフェは一人暮らしで地元コミュニティを求める人たちが集まる居場所になっていました。
同じ商店街の喫茶店を見ても、毎日通う常連さんたちが集まる居場所になっていました。
自分のカフェを思い返してみても近所の喫茶店を思い返してみても、もしその場所が無かったら悩みや愚痴を話せる繋がりが生まれず、孤立していたのではないかなと思います。
そう考えると、いわゆるセーフティネット以上に地元のカフェや喫茶店もセーフティネットで、さらにいえば、身近に何でも話せる友達や家族がいるなら最高のセーフティネットだと言えそうです。
より手前であればあるほど(相手が深刻化していないので)気づかれにくいけれど、、、世の中には手前のケアが無数にあって、セーフティネットなんて言わない繋がりのほうがセーフティネットだと思うんですよね。
(余談ですが、国としていわゆるセーフティネットを称えたり予算をつけたりするなら、もっと手前の友達やココトモメンバー!にこそご褒美をあげてくださいと思っちゃいます笑)
※ココトモでメンバー向けに書いた取り留めのないことの転載ブログでした